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坂田靖子 『黄金の梨』 全4巻


以前、坂田靖子のマンガをよく買って読んでいた。
彼女の描くゆるいムード、そして地に根ざした独特の幻想性にハマっていたのだ。

しかし何度目かの引越しの際、本を減らす必要に迫られ、
仕方なく坂田本の蔵書も大部分を処分した。
その中で残しておいたのが、『アジア変幻記』を始めとする潮出版のものと、
この『黄金の梨』全4巻である。

新米魔法使いとノームが、遠い山まで「黄金の梨」を取りにいくという
れっきとしたファンタジー物語であるが、プリンセスコミックという事もあって、
意外に読者に恵まれていないのではないかという気がする。

ファンタジーもののマンガというと、ベルセルクやバスタードみたいな
キャラ先行のヒロイックものは結構あるのだが、
エピックファンタジーっぽいものは、ファンタジー世界の素養を
ある程度必要とされるためか、殆ど見受けられない。

そんな中、この『黄金の梨』は魔法使いがきちんとローブを着ていたり、
突然ノームが押しかけてきて冒険を押し付けられたりと、
正統なファンタジー物語臭が漂う貴重な本である。


マンガ自体は彼女らしいホンワカしたノリで進んでゆく。
しかし、出てくる身勝手な精霊や魔法使い、竜やとぼけた怪物なんかが、
軽いんだけども上滑りしない、軸の確かな幻想性を持ってて、味わいが深いのだ。

『アジア変幻記』や『ビーストテイル』なんかもそうだが、
たまにあの味を噛みしめたくなって、ふと本棚を捜して読み耽ってしまう。

坂田靖子は絵だけを見れば、評価を下げる人がいるかも知れない。
でもその幻想資質と物語の描き方は当代有数の作家ではないかと感じる。





よくマンガで絵が上手いとか下手だとかいうのを聞くが、
私はそういう見方はあまり意味がないと思う。
特に1枚1枚、1コマ1コマの絵を見て上手下手を判断するのはどうかと思う。

絵が上手いのを見たければ、イラストか本物の絵画を鑑賞すればいい。
でもマンガにおいてはそういう絵の上手さは逆に働くことも多い。

要はマンガ自体が巧いかどうかなのだ。
コマとコマの『流れ』と、『間』を描けるかどうかなのだ。


一般的な例を出せば、故藤子・F・不二雄先生。

F先生の絵は言ってしまえば単純である。
しかしその単純さは、マンガ的表現ために余分な要素をとことん削ぎ落とし、
マンガ流体力学の果てに生まれた「究極の流線」とも言うべき姿なのである。
藤子先生のマンガの軸の確かさ、原初的かつ根源的表現。
幾度とない読み返しに耐え得る普遍的物語構造・・・

藤子先生に関しては特別な思い入れもあり、とても語り尽くせないので、
また別の機会にすこしづつでも触れればと思う。


現代の有名なところでは、『ハンターハンター』の冨樫義博も
マンガの流れがすごく巧いと感じる作家である。
動き・流れを生じさせる為の、コマ間やネームの「ズレ」の描き方が絶妙で、
それが全体として読むと、よりスピード感と緊張感を増す結果となる。

また、話が進むほど間延びしがちな少年漫画の中で、
むしろ話が進むほどスピード感を持ち展開が先鋭化していく。

あまりに速く鋭くなりすぎて、種々の問題を引き起こした為か
長らく休載を余儀なくされてしまっているが、
近々再開の報があったので、今後に期待したい。


あと『はじめの一歩』の森川ジョージがどこかで言ってた事だが、
(森川氏は連載当初より比較的安定した画力を持っている作家だが)
ボクシングのシーンを描く資料として、写真は見ずに
マンガの中で生きた動きを表現する為に、映像を何度も見るらしい。
『はじめの一歩』の迫力ある描写シーンも
そういう、動き・流れを意識して始めて生み出されるものであろう。


話が大分それて坂田マンガとかけ離れてしまった感じだが、
ともかく『黄金の梨』はスルメのように、噛むほどに味が出て、
厭きずに何度でも楽しめると言う事である。

私が思う、優れた物語の最大の条件は、
繰り返し読んでも、やっぱり面白い。
まさしく、そこなのである。




07・9・15