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南Q太 『スクナヒコナ』


「何か面白い本を教えて」などと人に言われるとちょっと困ってしまう。
特に、その人の事をよく知らない場合は。

マンガは作者の内面性が否応なく大きく出てしまうので、
必然、読み手の性質や、育った環境によっても受ける印象が全く違ってしまうものだ。
なにせ自分自身でさえ、かつて面白くなかったものが今になって深く共感できたり、またその逆も多いのだから。

自分にとって、その作品の持つある要素がすごく気に入ってて、面白いけど、
相手の人は、たぶん自分と同じような読み方はしてくれないだろうなあ。
なんて感じる場合は多い。

南Q太も、私がそんな風に感じてしまう作品を生む作家だ。
たぶん、ある程度は理解してもらえる。大手出版社の洗礼を浴びている作家なので、
表面上の面白さはあるし、それなりに理解してもらえるだろう。

しかし、薦める以上はここを感じて欲しい、読み取って欲しいと思う部分を
相手に解ってもらえるかどうかは、はなはだ心もとない。
そんな迷いが生じる作家なのである。


DRAeGONs.com としては1発目になんとも関連の薄い作家となったが、
それはたまたま昨日、久しぶりに南Q太の未読の新作を見つけて読んだというだけの理由だ。

ファンタジー作品などはそのうちに取り上げるだろうが、
あくまで試作的な趣味のページとしての位置付けなので、まあ良しとしよう。





南Q太としては珍しい長編である
4巻まで出てるようだが、とりあえず3巻まで入手して読んだ。

やっぱり、この人、私は好きだなあ。
南Q太の漫画は人物と人物の距離感がすごくいい。
何とも言いようがない、隠し持った空気をうす皮一枚感じさせる主人公に、スッとハマる。

他の漫画家がほとんど描けていない部分なのだが、
人と人との間、感覚のズレ、その微妙な遠さが凄くリアルで生々しいのだ。
彼女の作品はそこを大事にしているものが多いと思う。

いわゆる『キャラ』的ノリで人物の距離感のない、
ベタベタ色づけしただけの登場人物が氾濫している昨今のマンガの中で、
南Q太の作品群はキリリと光って見えるのである。

あと押しつけがましくないところも、好感の持てるところだ。
内田春菊あたりの、あの感情的な、自我の重々しさがなく、軽い。
軽さがあって、それでいてふいに突きつけられる、あの空虚感、断絶感。
ああ、たまらない。

少し気になる点を言えば、いくらかボーイズラブ的な要素が垣間見えることか。
この人でも、やはりそういう部分があるのかななんて、
まるで澄んだ山奥の空気の中で、突然カップメンの匂いが漂ってくるような、
そういうちょっとした萎え感もチラつくが、まあ御愛嬌か。

また、これは欠点という訳ではないだろうが、
この人の描く男は、女にとって、というかある種の女性にとっては、
きっと理想の男なのだろうなと思う。

こういう風に接して欲しいという希望どおりの、殆ど現実には存在しない男性像。

でもそれはちょうど村上春樹の小説の中の女性達が、
ある種の男性にとっては、まさに理想的にカチリと嵌った会話をしてくれるけど、
そんな女性は殆どどこにも存在していないのと同じだろう。


まあ、どちらにしろ、その「ある種」の人たち自体が、残念ながら少数派なんだけども・・・




07・8・22